2008年01月21日

太宰治 お伽草子(抄)

太宰 治

お伽草子(抄)




前書き

「あ、鳴った」

と言って、父はペンを置いて立ち上がる。
警報くらいでは立ち上らぬのだが、高射砲が
鳴りだすと、仕事をやめて、五歳の女の子に
防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかえて防空壕
にはいる。すでに、母は二歳の男の子を
背負って壕の奥にうずくまっている。

「近いようだね」

「ええ。どうも、この壕は窮屈で」

「そうかね」と、父は不満そうに、

「しかし、これくらいで、ちょうどいいのだよ。
 あまり深いと生き埋めの危険がある」

「でも、もすこし広くしてもいいでしょう」
「うむ、まあ、そうだが、いまは土が凍って
 固くなっているから掘るのが困難だ。
 そのうちに」などあいまいなことを言って、
母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。

 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の
女の子が、もう壕から出ましょう、と主張
しはじめる。これをなだめる唯一の手段は
絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、
瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで
聞かせる。

 この父は服装もまずしく、容貌も愚なるに
似ているが、しかし、元来ただものでないので
ある。物語を創作するというまことに奇異なる
術を体得している男なのだ。

ムカシ ムカシノオ話ヨ

などど、間の抜けたような妙な声で絵本を
読んでやりながらも、その胸中には、また
おのずから別個の物語がうんじょう
せられているのである。












posted by 貫太郎 at 22:11| Comment(0) | TrackBack(1) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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